間違えと変更

tunaguinfo2006-04-26

設定を変える、という行為の結果は計らずして起こることも方向性を決めた場合もも同じ。違いは過程の記録がなければ結果を再現し難いこと。よくも悪くも設定を変えてみるのことは重要なのだが技術が伴わない変更は結果の評価もしにくい。故に変更も方向性を見いだせず、迷走する。
と、ここまで書いて気がついた。子供の頃はそうしていたと。いつの間にやら嘘くさい理屈で方向性を決めていたのだけど、未知の分野に踏み込んだのなら子供に戻ってやってみるのもいいだろう。
どうしてもいい結果が得られない時には闇雲にやって結果を評価する。結果の評価をするのに過程は必要ないのだが、よいと下した結果を得るのには過程や設定は必要だ。必要な設定を効率よく得る、それが成長や技術の習得と言うことなのだ。
自分の写真についてはまだそういう時期なのだろう。撮るたびに喜びと憂いが交互にやってくる。カメラがデジタルに変わったことで過程の記録が簡単に手にできるようになった。試す、評価する、という繰り返しが格段にやりやすくなった。反復訓練を続けることでカンが育つと考えている。何が写るのか分かるようになるにはまだまだ時間がかかる。